「近代・現代住宅の歴史」と言う題名からは住宅の様式や意匠をイメージすると思いますが、ここでは住環境とそれを可能にした生活インフラ(上下水道、電気、ガス)、設備(照明、冷暖房等)と住宅性能(断熱性能、気密性能等)に焦点を当てています。
今は正に変革期で、ヨーロッパは持続可能な社会を目指し数十年前から住宅の大幅な省エネに舵を切ったことを説明しました。ヨーロッパではハウスメーカー、窓メーカー、欧州連合、国、地方自治体、国民が主体となり、建物の徹底した省エネ化を進めています。日本でも問題意識は増していますが、今でも設備主体の省エネが基本で、建物自体の省エネでは大きく後れてしまいました。後れの理由を文化や社会の違いとして安易に片づけ、今の状況を肯定すると、後れを取り戻すどころか、差はますます広がってしまいます。
再生可能エネルギーの開発、電気自動車の導入、住宅の高性能化など、ヨーロッパは多くの分野で世界の先端を走っています。原動力は過去の失敗に対する反省かもしれません。1980年代にアメリカと日本で進んだ自動車の低公害化や低燃費化に遅れ、マーケットシェアを大きく落としてしまいました。当時のヨーロッパでは自動車メーカーや政府が、変革を否定し、結果的に大きな代償を払わされました。一方日本はテレビ、エアコン、冷蔵庫などの家電分野でも省エネで大きな成功を収め、2000年頃までは省エネの優等生でした。今の日本の動きが遅く、いまだ設備重視なのはこの成功体験が原因かもしれません。
人や社会は身近に迫る変化に気付かないものです。気付いたとしても、過去の体験に影響され、素直に受け入れない場合もあります。失敗しない為には、周りを観察し参考にする必要があります。同じく大事なのは、高い視点から今の状況を観察する事です。言い方を変えれば、歴史的な流れを理解する事です。「今までこうだったから、これからも」と言う事ではありません。もう少し時代を遡れば、大きな変化が起きたこと知る事が出来ます。50年前、何人の人が地球温暖化を予想できたでしょうか。今起きている変化に気付き、理解してもらう為、アメリカから始まった近代・現代住宅の歴史をここに記しました。
「蛇口を回せば水もお湯も出る、スイッチ一つで灯が点き、リモコンを押せば冷暖房が使える」、先進国の人にとってこれが当たり前で、そうでなかった頃の生活は想像すら難しいと思います。この当たり前は、世界から見れば一部の人達の贅沢です。日本でも戦前から戦後直後に生まれた世代は、そうでなかった頃を覚えているはずです。「薪を燃やしてお風呂を焚き、薪を燃やして料理を作り、冬になったら隙間風に耐え、厚着をして寒さを凌ぐ」と言う生活を覚えていると思います。
英国で始まった産業革命で世界は大きく変わりました。石炭の大量採掘と大量消費によって製鉄や化学工業が生まれ、農業の近代化で多くの農民が都市に移住しました。水道と下水が整備され人々は水くみから解放され、都市の衛生も改善されました。石油が開発され、自動車や飛行機が普及し、公共交通機関が整備され、郊外に住宅が開発され、一般労働者も便利で豊かな生活を手に入れました。天然ガスの開発と住宅への引き込みにより、多くの先進国でセントラルヒーティングが普及しました。住環境の改善と医療の発展により、平均寿命も大幅に伸びました。石油危機や公害問題に対処する必要はありましたが、化石燃料は加速度的に開発され、中国やインドがあとを追って大量生産、大量消費社会に参加しています。多くの研究により気候変動の仕組みへの理解が深まり、観測とシミュレーションで地球温暖化とその弊害が予測されるようになりました。多くの人々は強い問題意識を持つようになりましたが、軌道に乗り始めた経済成長を犠牲にしたくはありません。先進国がつくった問題と言う反発もあります。先進国は今の生活を劣化させたくはありません。原子力と言う「魔法の杖」も福島原発事故で魅力を失いました。重大事故の可能性だけでなく、放射性廃棄物の最終処理問題もいまだ解決されていません。安全対策を徹底する程コストが上がり、今や省エネと再生可能エネルギーを組み合わせた方がが安上りになっています。福島原発事故をきっかけにドイツは脱原発を決定し2022年に完了します。原発に関しては賛否両論があり、否定するものではありませんが、エネルギー大量消費を継続するための解決策として期待すべきではありません。太陽光や風力などの再生可能エネルギーでも同じです。省エネを最優先にしない限り、2050年までに大幅な温暖化ガス削減を達成できないと言う事です。